あらすじ
表題の「でんでんむしのかなしみ」と、「きょねんの木」が収録されている。どちらも短く、また独立した話なので、どちらから読んでもよい。
「でんでんむしのかなしみ」
ある日、でんでんむしは、自分の殻には悲しみがいっぱいつまっているのではないかということに気がついた。
でんでんむしは、ほかのでんでんむしに、このことを言った。
すると、ほかのでんでんむしもこう答えるのだった。
自分の殻にも悲しみがいっぱいに詰まっている、と。
そして、でんでんむしは、この悲しみに耐えながら、背負い続けて生きていかなくてはならないことを知るのだった。
「きょねんの木」
一本の木と、一羽の小鳥は仲がよかった。
木は、一日中、小鳥の歌を聴いていた。
冬がきて、小鳥は旅立たなくてはならなくなった。また春がきたら、歌を聴かせてあげると約束して。
しかし、春が来て帰ってきた頃には、一本の木はなくなり、切り株だけになっていた。
木は切り倒され、運ばれて行ったのだった。
小鳥は、木の行方を追っていくが……。
でんでんむしの殻に詰まった悲しみとは
悲しみはみんなが持っている。
悲しみの痛みを分かちあうことはできても、悲しみそのものを忘れ去ることはできない。
人は、癒えることのない悲しみを背負って生きているのだ。
悲しみに耐えながら、生きていくしかないのだ。
でんでんむしは、あるとき、自分の殻の中に、かなしみがいっぱい詰まっているということを自覚する。
そう、悲しみは、気がつくとずっとかたわらにいる。寂しささえ漂わせながら。
それはまるで、少年や少女がふとした瞬間におとなになるかのようだ。
でんでんむしはこの悲しみをどうしようかと思いながら、ほかのでんでんむしに相談する。しかし、みんな、自分の殻にも悲しみが詰まっているのだという。そうして、でんでんむしはようやく悟るのだ。
この悲しみはほかの誰かのものでもない、自分自身のものでしかないこと。
この悲しみを捨てることはできないということ。
生きるとは、この悲しみを背負い続けていくということ。
みんな悲しみを背負って、耐えながら生きている。でんでんむしは、どうやらそうらしいと知る。彼が、がんぜない子どもからおとなになった瞬間ではないか。
そういった悲しみの始まりを、新美南吉はしとやかにつづっている。
短編ふたつ入った絵本
「でんでんむしのかなしみ」と、「きょねんの木」の二つが収録されている。
どちらも短く、しかし胸を打つ短編だ。
悲しくて、優しい気持ちになるこの話は、低学年からが対象だろう。
おとなが読んでも胸が打たれる。むしろ、おとなのほうが感じるものが多いかもしれない。
