あらすじ
牛飼いを自称する男性。
彼は、肉牛を飼っていた。
しかし、ある日、地震が襲い、近くにあった原子力発電所を津波が襲った。男性の牧場は、放射能に汚染されてしまったのである。
飼っていた牛は、もう肉牛としては売れない。
市は、殺処分するようにと言ったが、男性は応じなかった。
なぜなら、自分は牛飼いだから。
売れない牛を毎日世話する。
これに、意味なんてあるのだろうか?
男性はずっと苦悩し続ける……。
いつしかその牧場を、人は希望の牧場と呼ぶようになった
希望の牧場という、実在する牧場のことを描いた絵本。
福島の放射能で汚染された土地にあった牧場では、家畜はもう経済的価値がない。いくつかの牧場は、市の勧告により、牛を殺処分したのだという。
主人公の男性は、そんな牛たちを殺処分できずに、毎日牛に餌をやり、育てている。男性は頭ではわかっている。この牛たちには経済的価値がなく、養えば養うだけ、費用がかさむことを。
それでも彼は、「おれは牛飼いだから」と毎日牛に餌をやっている。
思えば、牛の価値を決めたのは人間だ。人間にとっての経済的価値がなくなったから殺処分するというのは、なんともむごいことではある。だが現実は非情だ。無料奉仕で肉牛を養うことは難しい。……肉牛の価値を決めたのは人間だけれど。
主人公の男性の苦悩が描かれる。
どうすることが正しいのか、わからない。考えても考えてもわからない。これは答えがない問いなのかもしれない。
男性はそれでも、牛の世話をし続ける。
「だって、牛にエサやらないと。オレ、牛飼いだからさ」
原子力発電所の事故で、すべての価値は失われてしまった。牛だけではない。自然も、空も、美しかったものがみんな意味を失ってしまった。
そんな中で、男性はただただ、自分は「牛飼い」だと言い、売れない牛をずっと育てている。
男性の牧場は、いつしか、人々にこう呼ばれるようになった。
「希望の牧場」。
でも、男性はずっと考え続けるのだ。
希望なんてあるのか。
意味なんてあるのか。
男性は一生考え続けていく。
牛に語りかける男性の言葉にはっとする。
あしたもエサをやるからな。もりもり食って、クソたれろ。
えんりょはいらねえ。おまえら、牛なんだから。
オレは牛飼いだから、エサをやる。
きめたんだ。おまえらとここにいる。
意味があっても、なくてもな。
これは正しいとか正しくないとかの次元の話ではないのだ。
彼は「牛飼い」だからやるべきことをする、という信念の話なのだろう。
それに人々は、「希望」を感じて仕方がないのだ。
福島原発事故の引き起こした悲劇
人間が決めた価値がなくなってしまったからといって、殺処分に応じられなかった「牛飼い」の男性の苦悩や決意を描いた作品。
テーマが難しく、もちろん、この絵本自体に主張や考えはほとんどない。事実と男性の苦悩が描かれるだけだ。
中学年から高学年が対象だろうか。