あらすじ
ある少年が世界の果てに住んでいた。
そこは美しい自然にみちあふれていた。
少年はそこで、質素な生活をしていたが、それでも満たされていた。
ところが、ある日、その自然に開発の手が入り、テーマパークができあがってしまう。
押し寄せる観光客。
ぎらぎらと光るライト。
少年の生活は、いつしか満たされたものではなくなっていたのだった……。
豊かな自然に囲まれて過ごすことの意義
特に田舎でもなく、都会でもない場所で育った私は、自然に囲まれて過ごすことの意味や理由に今ひとつ共感したくてもできない。
自然に囲まれて育つことの良さは知っているけれど、そこには不便や大変さがあるだろうと考えるからだ。
だから、田舎で暮らすことが心を豊かにするという意見には、そういうものなのかな、という感想しか抱けず、かといって、不便な生活を強いられるより都会暮らしの方が楽なのではないかという意見にも、そういうものなのかな、という感想しか抱けない。
だいたいのところ、私のような半端者には、自然とのふれあいはあらかじめ計画したものでないと実感できない。
そのあらかじめ計画されたものとは、この本書に登場するレジャーパークのようなもののことを指す。
豊かな大自然の中で暮らしていた少年は、ひとりぼっちではあったけど、心満たされる生活を送っていた。食べるものは質素だし、お金がかかる贅沢なことは何もできないけど、少年は自分の生活に幸せを見いだしていた。
ところが、だ。
ところが、そこにレジャーパークが作られてしまう。
押し掛ける観光客、まばゆいライトアップ。
少年の生活は少しずつ、変わっていく。それまでささやかな幸せだった自然の気配を感じ取りながらの生活も、だんだんとかなわなくなっていくのだ。
そうして、少年はそんな生活に見切りをつけて、違う場所へと旅立っていくのであるが、この作品の奥の深いところは、レジャーパークが完全な悪として描かれていないところである。
レジャーパークが開かれることによって、少年は都会に住む友人を得ることがかなった。いつもひとりぼっちであった少年にとって、友人と一緒に楽しく過ごしたことは、かけがえのない心の成長につながったのではないだろうか。
レジャーパークができなければ、少年は友人を得ることもかなわなかったはずだ。
今も、ひとりぼっちで世界の果ての頂上で暮らしている少年。
現実的に考えれば、そんな生活は可能なのだろうかと考えてしまうが、もしかしたら、少年の存在は、自然に囲まれてゆったりと生きていきたいという人たちのあこがれの結晶なのかもしれない。
しかし、どうだろう。
今、現代を生きる私たちは、少年のようにひとりぼっちで世界の果てで暮らすことに耐えられるだろうか。
SNSで常につながっていたいような私には、とてもひとりぼっちで生きることなどできそうもない。
一度友人を得た少年が、大自然を前にさいなまれることがあったなら、それはさみしさという感情ではないか。
さみしさという感情すら、豊かな自然の前では大切な心の機微であることだ、と達観して見られるというのなら、それはもう人間らしい生活とはいえないのではないだろうか。
彼が真っ青な空を見て思うことは、友人のこと。
決して彼は達観した人間ではないのだ。
その証拠に、彼は友人たちに手紙を出そうと心に決めているのだから。
美しい自然のイラストと、挿し絵のカットが豊富
カラーで描かれる自然はとても美しい。モノクロの挿し絵もついており、絵が豊富だが、絵本にしては文章の量がとても多い。
内容も難しく、考えさせられるようなテーマをしているので、正直、児童書か文庫などで出した方がいいような気がする。
話が長いため、読み聞かせには向かない。
テーマと文章量あわせて考えると、対象は高学年だろうか。
ただ、絵本を高学年が手に取るかと考えるとはなはだ疑問が残る。
おとな向けといってもいいかもしれない。