あらすじ
アヒルは今日もハトにからかわれていました。
飛べない鳥なんか、鳥じゃない、と。
しょげたアヒルを、ゴリラのおじさんがなぐさめます。
そして、「とことん考えてみるんだな」と助言します。
アヒルはとことん考えて見ましたが、跳べる方法なんて見つかりませんでした。
ハトは「考えるのをやめたら」と嫌味を言いに来ました。
アヒルは、朝日が昇るのを見て、何かに気づきました。
そして、アヒルは……飛んだのです!
飛べないと思っているのは誰なのか
アヒルは、ハトにいつもからかわれていた。
「とべない トリなんか、トリじゃないわ」
絵本の冒頭から衝撃なシーンである。
しょげるアヒルを、ゴリラがなぐさめてくれる。
「とことん かんがえてみるんだな」
そういうゴリラのおじさんは、アヒルの背中をさすってくれるのであった。
ゴリラのおじさん、優しい……。
とことん考える……とことん考えるとは、飛ぶ方法を、ということだろうか。
ゴリラの台詞には、いろいろな意味がこめられているような気がしてならない。
ゴリラの助言を受けて、とことん考えてみるアヒルだが、飛ぶためのいい案は思い浮かばない。
そこへ、ハトがわざわざ嫌味を言いに来る。ハト、とことん嫌なやつである。
「むだなことは、およしになったら」
ここに、私は内面の自分が言い争う様子を思い起こした。
何かをしてみたい、達成してみたい……そう決心して、あれこれと方法を考えているときに、出てくるもう一人の自分だ。
「そんなことやったって無駄」「歳を考えたら? 恥ずかしい」「現実的になったらどう?」等々、頼んでもないのにむくむくむくむくとどこかから湧いてくる自分を非難する自分だ。
しかし、アヒルは夜が明けるのを見て、気づくのであった。そして、彼は、地面を蹴った。
そうしたら、飛べたのである。
さて、アヒルは何を気づいたのか。
それは明確にはされていない。
しかし、アヒルが飛んでいるのを見て、ゴリラのおじさんをはじめ、さまざまな「飛べないはず」の動物も空を飛ぶのだ。
私は、これを可能性の物語と読んだ。
これは、自分の中の、新しい可能性を信じるお話なのではないだろうか。
「飛べないはず」の動物たちが飛んでいるのを見て、ハトが驚く。
そして、彼らに、どうして飛べるのかと聞くけれど、明確な答えは返ってこない。
アヒルとゴリラが飛べるのなら自分だって……とゾウが飛ぶ。
アヒルとゴリラとゾウが飛べるのなら、自分だって……とカバが飛ぶ。
「ア、アヒルと ゴリラと ゾウが
とんでいく。でも、あいつらに
とべるなら。
もしかしたら……」
「でも」あいつらにとべるのなら──可能性を否定してきた者達が、可能性を信じて飛んだ者たちの後を追う。
それは、さながら抑圧されてきたものたちが、次々と時機に身を投じるかのようだ。
ハトの意地悪な質問に、アヒルはこう答える。
「はねが なくても、とびたければ とべる。
どんなに おもくても、うかびたければ うかべる。
ほら、あのひとみたいにね」
あのひと、つまり、地平線から昇ってくる太陽のことであった。
そして、一番最後に、「おれもだけどな」と呟くのは、私たちの足元にあるもの……そう、地球である。
私たちは可能性の上に立っている。
何かを暗喩するかのような絵本
お話自体はシンプルなのだが、額面どおりに受け取っていくとよく分からない部分がある。会話の意味もよく分からない。
私はこれを可能性の話と見たが、本当は全然違う話なのかもしれない。
絵は力強く、個性的な絵柄で、ほのぼのとした空気がある。
幼児、低学年向けだろうが、おとなが読むとまた違った見方ができそうだ。
子どもがこのお話をどうとるのかは未知数である。
