あらすじ
リラには空想の友達がいる。ナイナイという名前だ。
ママが死んでしまったリラは、毎日喪失感を抱えている。
ママがいたときは華やかだった庭も、今では花も咲かない。
パパとリラは深く悲しみ、空虚を抱えていた。
なにもない庭に、あるとき、ナイナイが種を植える……。
ゆっくり悲しみから立ち直ろうとする父娘の話。
ゆっくりゆっくりと立ち上がり、希望は芽吹く
これは、喪失からゆっくりゆっくりと前向いていく物語だ。
立ち直る物語と言い切ってしまうのは、少し強引かもしれない。喪失の痛みは、和らぐことはあれど、ずっとずっと、ぼんやりと痛みを覚えるものだから。
この物語の主人公の女の子、リラはお母さんを亡くした。
死んでしまったということは理解できる年頃だ。死んでしまったお母さんが、寒い日にはパパの上着を着て、ブーツをはきなさいといつも言っていたからと、寒い日はママの言うとおりにするリラの姿が悲しい。
リラの中では、まだ母親が息をしているのだ。
リラには、空想の友達がいる。ナイナイという。
ナイナイはリラのそばにいた。ママが死んでしまった悲しみを埋めるように、ごまかすように、ナイナイの存在はリラの中でさらに強化されていったのではないだろうか。その証左に、お手伝いさんはリラの空想の友達について、危機感を感じていた。
そんなリラだったが、父親の姿があまり見えない。そう、パパはもまた、ママの死から立ち直れずにいたのだ。自分のことでいっぱいいっぱいで、リラに寄り添うことが難しくなっている。
ママが生きていた頃、花でいっぱいだった庭。
今やその花園も、荒れ果てて花も咲かない。まるで、リラとパパの心の中のようだ。
「なんにもない庭なのよ」と、わたしは悲しい気もちでいった。
「そうじゃないさ。なんにもないところからはじめて、どんなことでもできるんだ」と、ナイナイはこたえた。
なにもないところから始められる。
不思議な光景ではないか。ナイナイはリラの空想の友達なのである。そんな彼が、なにもないところから始められると希望を語るのだ。それは、リラ自身もまだ気づいていない、歩きだそうとする勇気の発露。
リラは、ママが好きだった花を思い出して、ママの痕跡をたどっていく。それは痛みを伴っただろう。もういないという現実がまんじりともせずにそこにある。
ママが好きだった花、ヒマラヤ・ブルー・ポピー。
育て方が難しいというこの花を植えるママは、もういない。
悲しみが押し寄せてきたのだろう。リラは、「わたしも一緒に天国に行けばよかった」と思う。
しかし、ナイナイはこう言うのだ。
種をまいたら、と。
再び歩き出すための一歩。
ナイナイの口を借りて、出てきた言葉。なにもないところから始めようという再生の第一歩をすすめる言葉。
だが、その言葉は、リラにとって、すぐに受け入れられるものではなかった。
あまりに急すぎて、あまりに突然すぎて、リラは戸惑い、ナイナイを拒絶する。
拒絶しても、ナイナイの姿がなくなっても、一度歩きだそうとした心はゆっくりとゆっくりと立ち上がる。リラは、ナイナイをなくしたままでも、一歩踏み出すのだ。
幸せの青い鳥をみた。
その鳥の姿をみて、彼女は一歩踏み出すときがきたのだと無意識に悟ったのだろう。
そして彼女は、ヒマラヤ・ブルー・ポピーを植える。
そうして、彼女は、ヒマラヤ・ブルー・ポピーが芽吹いたとき、再び、親友のナイナイと再会する。
歩き出す希望が芽吹いた。
一歩、一歩、踏み出す。
リラの中には、その力が眠っている。目覚めようとしている。
その希望の芽を出した庭は、パパの心にも希望を芽吹かせた。
青い花咲く庭にいるのは、リラ。
それは、パパの希望。
繊細に、静かに、歩き出そうとする父娘の姿がそこにあった。
喪失の痛みから歩き出す父娘の話
静かなタッチでありながら、分かりやすい文章で繊細なテーマを扱う児童書だ。
難しいテーマだと思う。
中学年からが対象だろうか。