あらすじ
コグマくんは、朝、目がさめて、ベッドからおり、外に出ると早速、お母さんに「どうして太陽は明るく照らすの?」と尋ねます。
コグマくんは、目に入るもの、気になったものについて、どうして?と尋ねずにはいられないのです。
お母さんと一緒にピクニックに出かけながら、コグマくんは、次々と気になったものに関して、「どうして?」とお母さんに尋ねます。
お母さんはそのたびに、きちんきちんと答えてくれるのでした。
どうしてどうして?
子どもによくある、なぜなに期。目にするものすべてになぜなのかどうしてなのか尋ねてくる、やっかいな時期である。できることならなぜなのか、ちゃんと回答してやりたい。でも、忙しいときだったり、そんなんしらんがななことを聞かれたら、ついつい適当な相づちですませたり、話をそらしたりする。おとなのずるいところである。
悲しいかな、おとなにも知らないことが山ほどあるのだ……。そんな事情を知らない時期を過ごす子どもたちがあわれでならない。おとなは何でも知ってるよ、みたいな格好をしているのが悪いのかもしれない。
これは、そんな子どもの「どうして?」を優しく扱った絵本である。
主人公のクマの男の子は、目が覚めてベッドをおり、外に出ると早々に、目に入ったもの、気になったものに対して、「どうして?」と疑問を抱き、お母さんクマに質問するのだ。
「かあさん、どうして
たいようは あっちもこっちも
あかるくしちゃうの、
どうして?」「それはね、こぐまが いちにち
いっぱい あそべるように あかるくしてるのよ」
母グマの優しい回答に、心が柔らかくなる。
本当のことじゃなくても、こんなに気持ちの優しくなる回答があるのだと感じいる。
たぶん、コグマも事実の回答を求めているわけではないのだろう。そもそも、彼に、その答えが合っているかどうか確かめるすべがないのだから、母グマの優しい回答の方が腑に落ちていいに違いない。
それからコグマは、いろんなものに対して、「どうして?」を繰り返す。そのたびに、母グマは、彼にもわかるように、優しい回答を返してくれるのだ。そこには、目に見えない優しいコミュニケーションがある。
それにしても、この母グマの回答、機転が利いていてとてもすばらしい。次々と繰り出されるコグマの質問に、戸惑うことなく的確に答えていく母グマ。かなりの頭の回転の早さだ。私だったら、えーと……と口ごもってしまいそうだ。
稲妻の段では、母グマの優しさがにじみ出ているようで心が優しくなった。子どもたちにとって、怖いものになりがちな雷。それを母グマはこう答えている。
「どうしてどうして いなずまは
いきなり ぴかっと ひかるの、どうして?」「それはね、そらのうえと
わたしたちの このちきゅうが
てを つなぎたいからよ」「でも、どうしてどうして
ごろごろん どん!と でっかい
おとをだすの、どうして?」「それはね、いなずまは げんきなので
きっと おおごえで
うたいたくなるのね」
だからちっとも怖くないのよ、と優しく諭しているかのような母グマの答え。親と子の心温まる会話である。コグマはこの会話で、雷について必要以上の恐怖を抱かなくなったろう。
こんなふうに、子どもの「どうして?」に優しくつきあっていけたら、どんなに心が豊かになるだろう。
それと同時に、この母グマの発想の豊かさには、驚かされるばかりである。母グマのような発想豊かに受け答えするのは難しいにしても、優しい受け答えができるよう、心がけていきたいなぁと思うばかりである。
ほぼ会話だけで進んでいく物語
コグマの「どうして?」と母グマの答えで文章は進んでいくが、絵のほうでピクニックに行って帰るまでの流れが表現されている。
優しい気持ちになれる一冊。
幼児向け。