あらすじ
死神くんは死にゆく人を迎えに行くのが役目。
しかし、死神くんが迎えに行くと、つれて行かれる人は死神くんと口もきかず、泣き、寒がる。
死神くんはそんな役目にうんざりしていた。
あるとき、死神くんは、エルスウィーズという少女を迎えに行った。
すると、彼女はこう言った。
「とうとう きてくれたのね!」
死神くんの孤独と「生」
「死」を取り扱う絵本を手に取るたびに考える。
「死」は終わりで、別れだ。そこには悲しいという感情や、やりきれないという思いがこもる。「死」というものを考えるとき、すぐ隣には、「命」というものがある。
「死」を考えるということは、「命」を考えることでもあり、また、「生」を考えることでもある、と言える。
では、「生」、つまり「生きている」ということとは?
どういった状態を「生きている」というのだろう。
本書は、主人公が死神だ。死んだ人を迎えに行くという役目を担っている。だが、中身はまだ子どもなのだという。
死神くんがお迎えに行くと、たいていの人は悲しみ嘆き、打ちひしがれる。そして恐れおののく。
「死」は否応なく、「生」を終わらせ、「命」を奪う。様々な気がかりを強引に置き去りにしていく。死神くんはその象徴だと思われている。
だが、死神くんは死んだ人を迎えに行って、死の王国へつれていくのが役目なのであって、死神くんが死をもたらすわけではない。
しかしやっぱり、死神くんは歓迎されない客人なのだ。
二羽の鳥をうらやむように見る彼の目、それは孤独を意味している。
エルスウィーズに出会った彼は、初めて、自分の存在が歓迎されるという体験をする。彼は「なんだかみょうなきぶんだった」と感じ、それからエルスウィーズと短い間を楽しく過ごす。
存在を受け入れられ、時間を共有すること。それはつまり、「生きている」ということではないか。
こんなに 「生きている」って きもちになったのは
はじめてでした。
そう、ただ重いため息をつきながら、歓迎されない役目を果たしていた彼が、エルスウィーズの存在に出会って初めて、息を吹き返したのだ。
たった一人で「生きていく」ことはできない。
誰かの存在とつながって初めて、ひとは生きていける。
死神くんの場合、それがエルスウィーズだったのだろう。
もしかしたら、彼はエルスウィーズを生涯の伴侶に感じていたのかもしれない。
何にせよ、彼がもう、二羽の鳥をうらやむように見ることはなくなるだろう。彼はもう、孤独ではなくなったのだから。
死を扱っているが深刻な雰囲気はない
死神くんの孤独が、エルスウィーズによって癒されることがメインに描かれているので、全体的な雰囲気はそれほど重たくはない。淡々といった印象。
死後のことが描かれているが、宗教色は薄い。
テーマは難しいが、最後は死神くんの孤独が消えて事態が良くなるので読後は引きずらない。悲しい終わり方もしないので、ある意味ではハッピーエンドだろう。
読み聞かせもできる文章量ではあるが、どこか淡々としているので引きつけるのが難しそうだ。
低学年から中学年が対象だろう。