あらすじ
パソコンの得意なロバくんは、本を知らない。
サルくんが本を読んでいるのを見て、ロバくんはいろいろと質問をする。
「どうやってスクロールするの?」
「ブログはしてる?」
「マウスはどこ?」
“本を読む”とはどういうことか
電子端末の発達によって、“本を読む”という行為が多様化してきている。いわゆる電子書籍の登場によって、何百冊もの本がひとつの端末に入れられるようになった。
この『これは本』は、本を知らないロバくんが、本を読んでいるサルくんに、あれこれと質問する内容だ。たとえば、「(それは)どうやってスクロールするの?」とか、「(それは)メールできる?」とか「(それは)twitterできる?」とか、“本を読む”ということを知っている私たちからすれば、思わず失笑してしまうようなとんちんかんな質問だ。
だが、少し考えてみてほしい。
このまま時代が進んでいけば、紙媒体の本を読むという行為が──もしかしたら、ひょっとして、まさかとは思うが、──時代遅れの珍光景になってしまっていたとしたら。
携帯電話の普及で、公衆電話が珍しいものになってしまったように、紙媒体の本が珍しいものになってしまう可能性はまったくのゼロではない。それこそ、ずっと先の未来のことだとは思うが……。
改めて思うに、“(紙媒体の)本を読む”という行為にどんなメリットがあるのだろう? 本を読もうと思えば、電子書籍でも読める。データ化された書籍はいつでもどこでも手軽に読めるし、かさばらない。時間経過による紙の劣化もないし、ハードカバーの重たさに耐え続けなくてもよいわけだ。
紙媒体の本のメリットは? ページをめくるときの情緒的な瞬間があることだろうか。ぱらぱらと流し読みができる? 読みたいところを拾い読みできる?
紙媒体の本には紙媒体の本なりの良さがあるのはわかるのだが、その良さとは、人によって違いそうだ。
この『これは本』は、本についてシンプルに問いかけるていをなしながら、どこがよいかの答えは提示しない。だが、ロバくんに訊かれる質問の答えはすべてノーだ。「できない。これは本だから」の一言に集約されている。
不便なのに、小回りも利かないのに、人はなぜか紙媒体の本を読む。不思議だ。紙媒体の本には、どこか人ををひきつけてやまない何かがあるとしかいいようがない。
私は最近の書籍はたいてい電子書籍に切り替えているが、それでも気に入った本は紙媒体でそろえたくなる。
私の理由は好きな箇所を拾い読みしやすくなるからだ。
電子書籍だとぱらぱらとめくって目に付いたところを読む、というのが難しい。何冊も出ているシリーズならなおさら、気に入ったシーンを探すというのが難しくなってくる。紙媒体の本なら、割合、それは簡単だ。手にとって、ぱらぱらめくればいい。
だから、私は一概に、どちらが優れているとはいえない立場だ。紙媒体の本をむやみに賛美するつもりはないし、電子書籍を称えるほど合理的でもない。
『これは本』のロバくんとサルくんの掛け合いは、ほんの少し風刺がきいていておもしろい。最後のオチも締まっていて見事だ。
しかし、こんな会話がかわされるような未来になったら、これはこれで危機である。
でもそんな心配は、これからずっとずっと先の人類に任せるとしよう。
物語性はなく、質疑応答を中心に成立する絵本
文章は少なく、簡潔。
内容はおもしろいのだが、おもしろいと思えるのはおとなだけかもしれない。
幼年向けにしてはある程度の端末知識がないとよく理解できないし、携帯電話やパソコンを所持できるようになる年齢になると、この絵本は手に取りづらくなる。
絵や文章量に関してだけいえば、低学年向けなのだが、その年齢層の大半の子どもたちがツイッターやwi-fi、ブログなどの単語を知っているとは思えない。
おとなに向けた絵本かといえばそうでもないような……といった感じの何とも判断しづらい一冊である。
ただ内容はウェットに富んでいておもしろく、このおもしろさはやはりおとな向けかもしれない。
