あらすじ
グリーンおじいちゃんは、庭にトピアリーを作っている。
それらはみんな、おじいちゃんの人生を表している。
主人公のぼくは、トピアリーを見ながら、おじいちゃんの人生を辿っていく。
おじいちゃんが忘れていった園芸道具を拾いながら。
おじいちゃんは、昔は全部覚えていたけど、今では時々忘れることがある。
でも、大丈夫。
この庭のトピアリーたちは、おじいちゃんの人生そのものだから。
庭のトピアリーで辿る、おじいちゃんの人生
過去は記憶という名前で頭の中で、蓄積されていく。
でも、頭の中で蓄積されたそれは、「思い出」というものになって、美化されたり、無意識にゆがめられたり、時には曖昧になったり、すっかり忘れ去ってしまったりして、あやふやになっていってしまう。
それが思い出というものなのだけど、おじいちゃんは、庭のトピアリーで記憶を形作っていった。
生まれたころから、農場で育ったときのこと、四年生のときの水疱瘡。
戦争で出征したこと、未来の奥さんとの出会い、結婚……
おじいちゃんは、昔は何でも覚えていた。
きっと、トピアリーを作らなくたって、そのときのことを話せたのだろう。
だが、記憶は年月を経ると、あやふやで曖昧になり、忘れてしまうものも出てくる。
本書は、主人公の男の子とともに、庭のトピアリーを辿っていくことで、おじいちゃんの人生を振り返る。
昔、おじいちゃんから聞かされた思い出の話を、少年はトピアリーを見ながら辿っているのだろう。
思い出のトピアリーは個性的だ。おじいちゃんは、強く記憶に残ったものをトピアリーにしたのだろう。
おじいちゃんのトピアリーを生まれた頃から順に辿りながら、主人公の少年は、トピアリーの近くにおじいちゃんが置き忘れていった園芸道具を拾い集めていく。
おじいちゃんの記憶は、そろそろ曖昧になりつつあるのだろう。
昔みたいに、全部覚えているとは言えなくなってきているのだろう。
時々忘れ、時々その忘れたことを思い出し、また忘れてしまう。そうやって、おじいちゃんの記憶は、薄れていって、話すこともままならなくなっていく。
ちょっと置いた園芸道具のことすら、忘れてしまうのだから、おじいちゃんの記憶はもう昔ほどにしっかりしていないのかもしれない。
お気に入りの麦わら帽子を忘れてしまうおじいちゃん──
このまま「忘れていく」が続いていったら、おじいちゃんは一体どうなるの……?
不安に駆られる読み手に、本書は「でも大丈夫」と続けてくれる。
でも、だいじょうぶ、
庭が、ぜんぶ、おぼえているから。
そうして両開きになったページを開くといい。
そこには、おじいちゃんが築いてきた人生がすべて、トピアリーとして刻まれている。確かに生きたという証を刻んでいる。
そして、少年は、おじいちゃんの姿をトピアリーに刻む。
少年の人生に、おじいちゃんという存在があるように。そうやって誰かの記憶に自分の姿が積み重なっていくことは、とても素敵なことだと思う。
人生という名の庭
文章の量はとても少なく、トピアリーの美しさ、形作っているものを見ておじいちゃんの人生を辿る絵本。
忘れ物が多くなってきたおじいちゃんは、昔ほどに記憶が鮮明でなくなってしまった。
もしかしたら、おじいちゃんは軽い認知症の症状が出ているのかもしれない。
美しい絵で描かれた絵本の上に、テーマは深い。
メッセージ性を感じられる。
対象は低学年からだろうか。
