あらすじ
『おたからパン』というおいしいパン屋さんがありました。
そこのパンは、食べると思わず歌いだしてしまうほどにおいしいのです。
ある男が、パン屋の看板を見て、思いました。
『おたからパン』というからには、たくさんお宝がありそうだ。忍び込んで、盗んでやろう。
男は、泥棒だったのです。
その夜、男は店に忍び込み、宝を探し回りました。しかし、宝はどこにも見あたりません。
そこへ、店の親方がやってきてしまいました。
親方は、宝がほしいのなら、ここでまじめに働けば手に入るだろう、というのです……。
おいしいおいしい「おたからパン」
まず、表紙に大きく描かれた丸いパンがとてもおいしそうだ。
食べ物がおいしそうに描かれている作品は、それだけで人を引きつける力があると思う。
♪そとは ぱりぱり、なかは ふわふわ。
かめば かむほど あまくて おいしい おたからパン♪
作中、パンのあまりのおいしさに、食べた人が歌う歌だが、確かに、外はぱりぱりしていて、中はふわふわもっちり、かめばかむほど甘さがにじんできそうな、おいしそうなパンに見える。
あんパンやカレーパンではなくて、普段毎朝食べるような、シンプルなおいしさのパンだ。
こういうパンがおいしいパン屋は、たいてい、ほかのパンもおいしい。生地自体がおいしくできあがっているからだ。
シンプルでおいしいパンは、毎日食べても飽きない。そんなパンを作るお店は、繁盛する。本の中のパン屋もとても繁盛しているようだ。
しかし、お店の名前が「おたからパン」とは、「おたからパン」を売るパン屋、というだけの意味ではなさそうだ。
「おたからパン」という言葉に、お宝がたくさんありそうだと勘違いした泥棒は、店に忍び込むも、親方に見つかってしまう。そして、店の親方に「宝がほしければ、ここで働け。泥棒はもうやめろ」と言われるのだ。
警察に通報してもいいのに、あえて泥棒にチャンスを与えている親方の心の広さ。ちゃんとまじめに働けば、お宝は手に入ると約束している。
「おたからパン」を作れるように伝授するだけの話だろうと思ったら、話はそう単純なものではなかった。「おたからパン」の「おたから」には、もうひとつの意味があったのだ。それは、パンを食べた人の笑い顔である。
泥棒だった男は、人のものを奪って楽な生活を送るよりも、「おたからパン」を作って、パンを食べた人から「おたから」をもらうことに幸せを見いだせるようになったのである。
泥棒だった男が、辛抱強く、パン作りの修行に取り組めたのは、生来のまじめさもあっただろうが、親方の作る「おたからパン」のすばらしさにあこがれたからだ。いつか自分もあんなパンを作りたい。そんな夢をもって、男はあきらめずに、たくさんたくさんパンを焼いた。その努力が見事実ったとき、男は立派なパン職人になっていたのだ。
「おたからパン」が焼けるようになったときの、男のうれしそうな顔。目は輝き、表情は生き生きとしていて、一緒に喜びたくなる。男は「おたから」を手に入れた。
彼の顔には、もう、暗がりの中、店に忍び込み、お宝を盗もうとしていた泥棒の面影はない。
そこで話が終わらないのが、この本のすてきなところだ。
独り立ちした男のパン屋に、泥棒が入る。それは、男の過去の姿だ。
男は、親方のように言う。お宝がほしければ、ここで働き、泥棒はやめろ、と。
いつしか、男は「おたからパン」を作れるようになったことで、親方のような心の広さも持てるようになっていたのだ。
それはきっと、自分の作ったパンをおいしいと笑顔で食べる人たちからもらう「おたから」で心が満たされていたからに違いない。
引き継がれていく「おたから」
パンに限らず、食べ物食べて、おいしければ「おいしい」と言えるようになりたいものである。
作った側にとって、「おいしい」という言葉や笑顔は、お宝と同じ。
本書は、それを分かりやすく伝えてくれる。
おいしそうなパンの絵が目を引くと同時に、親しみの持てる絵柄と、山吹色を基調とした本のデザインは暖かみが感じられ、とても手に取りやすい雰囲気をしている。
幼児から低学年向け。
食への興味も引き立ててくれるだろう。
読み聞かせにも向いていそうだ。