静かに秘めた情熱はふつふつと、静かにたゆまず燃え続けている。
これは一人の男がもたらした奇跡の話。
あらすじ
旅をしていた「わたし」は、荒涼とした土地を歩いていた。飲み水もなく、困り果てていた「わたし」が歩を進めた先で、一人の羊飼いの男に出会う。彼は飲み水を恵んでくれ、宿も貸してくれた。
男は、不毛の大地に、木を植えていた。
一人息子を失い、妻も失った男は、孤独な生活の中でささやかな幸せを見出していたが、あるとき、不毛な大地に生命の種を植えつけることを思い立ったのだという。
「わたし」は彼に別れを告げて、再び旅立った。
戦争を経験した「わたし」は数年後、再び男の元を訪れた。
すると、荒涼としていた大地にはなんと緑の姿が……。
希望の話
荒れた土地にひたすら木を植え続けた男。
時には絶望の淵に立たされながらも、荒涼とした大地をよみがえらせることに情熱を注いだ男の姿に、私は人間の持つ無限の可能性と強さ、奇跡を起こしえる力の存在を思った。
しかし、こうも思ったのである。
彼の奇跡にも近い不屈の精神は、彼でこそ持ちえるものであって、その他大勢の我々にとっては、どうやっても持ち得ないまばゆいばかりの神性のものではないか──
確かに、ブフィエ氏の行ってきたことは神の業に等しい。
その一歩が、ただひたすらに荒涼とした地に木を植え続けるという、やろうと思えば誰にでもできる一歩であったとしてもだ。
その一歩をさらに一歩、さらに一歩、孤独の只中で積み重ねていく……誰にでもできることだろうか? いや、それはあまりにも険しい壁を登るに等しい行為だ。
どうしてこんなにも、ブフィエ氏は圧倒的な不屈の精神を魂の中に宿していたのだろう。宿せていたのだろう。思えば、これこそが奇跡だったのではないか。
彼の不屈の精神とたゆまぬ情熱は、絶望の淵にさらされながらも、不毛の土地を幸いの地によみがえらせた。
奇跡だ。
一体人はこんな力を宿しているのだろうかと、私は疑った。それほどに私の心は疑心暗鬼に満ちていた。ブフィエ氏だけが特別で、その他大勢の私たちなどには、そんな力をかけらたりとも宿していないのではないか。
だが、万に一つでも、ブフィエ氏のように老いてなお、たゆまない情熱を持ち続けることが可能なのであれば……
不毛の大地に、木を植え続ける不屈の精神を持つことができるのならば……
絶望の淵にあっても、絶望に打ち勝ち、這い上がる力が私の中に眠っているのではないか。不運にもくじけない心が私のどこかにあるのではないか。まだ諦めない情熱がどこかに……。
私は、『木を植えた男』は人間賛美の話ではなく、希望の話だと思った。
サイズは絵本だが、内容は小説に近い
漢字も多く、文章量もたっぷりあり、内容も難しいので、小学生には向きません。中学生以上からおとなが対象でしょう。正直なところ、絵本にする意味があったのかと考えると首をかしげます。絵は味があり、アート寄りです。フレデリック・バックが好きな人は嬉しい一冊でしょう。
元々フレデリック・バックがアニメーション化したものを元に絵本化した作品で、アニメーションのほうを知っている人もいるのではないかと思います。
私は残念ながらアニメーションのほうを拝見したことはありません。
さまざまな示唆に富んだ作品です。
フレデリック・バックはあとがきに、
この物語は、献身的に働くすべての人びとに捧げられるとともに自分の手で何をしたらよいかわからない人や、絶望の淵にある人には心強い激励となるでしょう
と書いてある通り、この作品は広くおとなのために書かれたものなのかもしれません。