物語は、ひっそりと始まる。
深い木立の奥に、淡く白い花が咲いたときから。
静かに展開していく佐賀の民話
うたいながら峠を越えていく一人の若い馬子を、その花はじっと見つめていました。
馬子は馬子唄を歌いました。それは美しい歌声でした。
そして、その歌を聴いた夜遅く、花は夜露を落としました。
ある夜、馬子の清吉の元を、一人の美しい娘が訪れました。
娘は、宿への道を間違えてしまったので一晩泊めてくれないかというのです。
清吉は娘が難儀しているのを可哀想に思い、娘を親切に泊めてやりました。
むすめの名前は月夜(さよ)。
朝になって、清吉は娘の道中を心配しながら、仕事に行きました。
しかし、仕事を終えて帰ってきたら、まだ月夜がいました。
月夜は、自分はどこにも頼るところのない身の上だからどうかここにおいてほしいと清吉にお願いします。
その夜から、月夜と清吉は夫婦になりました。
仲むつまじく暮らす二人。一年が過ぎました。
外に出て馬の世話をしていた清吉は、あるとき、よさげな草場があることに気付き、馬に草を食べさせてやろうとします。
その草場で、清吉はひっそりと咲く、一輪の月見草を見つけます。
「そうだ、月夜にとっていってやろう
きっとよろこぶぞ」
そういって、清吉はその月見草を鎌で刈り取ります……
ただただ切なく悲しい愛の物語
あらすじをここで切っても結果が分かりそうなものですが……。
本当にこのパターンの昔話は悲しくなってしまいます。
あとがきによれば、この話は佐賀地方に伝わるお話だそうで、語り部さんから聞いたお話を絵本化したそうです。
静かに深い愛情を育んでいく二人が、どちらも悪くない行動で終わりを迎えてしまうところは悲しくて寂しくてたまりません。もしこのお話が自業自得だったり、悪者が出てくるお話ならば、ここまで悲しく、寂しく心に響く物語になっていなかったでしょう。
月夜の一途さ、清吉の不器用な愛が、悲しく寂しい結末を迎えてしまったのです。そこに悪者も偽善者もいません。互いに互いを思いあっていた夫婦がいただけです。
なんとも悲しく、切ない話としかいいようがありません。
裏表紙裏に載せられた馬子唄が切ない余韻を残します。
ホーイホイ
だれが待つやら
宵の月 ホーイホイ君が待ってる
もどり道 ホイホイ咲いた想いは
花になる ホーイホイ月といっしょに
いつまでも ホーイホイ抱いて想いは花になるー
ホーイホイ
全体的に対象年齢高め
「馬子」や「めおと」などのやや難しい言葉が出てくるため、小学校低学年の一人読みには向かないでしょう。絵柄も渋めで、お話もどちらかというとおとな向けの感があります。
同作者の本なら、アニメ化もした『ねぎぼうずのあさたろう』のほうが子どもには親しみがあるかもしれません。これも時代劇風の個性的な一冊です。
公式サイトでアニメの第一話が配信されています。
https://www.youtube.com/watch?v=cQfnfpN3vl4
アニメのオープニング曲、大好きだったなぁ。