あらすじ
あるところに有名な陶器を扱う店があった。
その店の陶器は上等で評判もよく、遠くの国までその名が聞こえるほどだった。
その噂を聞きつけた城の家来は、殿様のために茶碗を造ってくれと頼む。名誉ある申しつけと、陶器師は上等な茶碗を造った。
軽くて、薄手であればあるほど、茶碗は上等なものとされていた。
だから、殿様に献上した茶碗も、すばらしい薄手の茶碗だったのだった。
しかし、この薄手の茶碗、中に熱いものを入れると、手にその熱さが直に伝わってくるようで困ったものだった。
殿様はこの薄手の茶碗のことをあまりよく思っていなかったが、いろいろなことを思い、黙っていた。
そんなある日、殿様はある百姓の家に泊まることになり……。
どんなに世間では上等な品と言われても……
立派な陶器を売っている店があった。
その名声は遠くまで聞こえ、いろんな人が陶器を買っていった。
陶器で有名なお店になったのである。
その噂を聞きつけた城のものは、殿様の茶碗を作るように申しつける。
申しつけられたお店のものは、特別気合いを込めた陶器の茶碗をこしらえた。
茶碗の上等なものとは、軽く、薄いものほど上等な品ということにされていた。だから、店の人たちは、特別気合いを入れて、薄手で軽い茶碗を作り、献上したのであった。
しかし……
お殿様がこの茶碗を実際使うようになって、中身の熱さがダイレクトに手に伝わってくるので難儀するようになった。
お殿様は、そのことを誰にもいえず、一人で辛抱した。
家来たちはみな、殿様である自分のことを考えて、この薄手の茶碗を使っているのだろうと思ったからだ。
何とも立派で涙ぐましいお殿様であった……。お話にありがちなわがまま殿様とは大違いである。
あるとき、殿様は百姓の家に泊まることとなった。
そこで出された食事には、厚手の茶碗が使われていた。そのことに感じるものがあったのか、殿様はしみじみと自分の生活の煩わしさを知った。
いくら上等な品として薄手の茶碗があったとしても、実用に足るのは厚手の茶碗なのである。上等だからといって、椀の熱さに耐え薄手の茶碗を使わねばならないとはなんと不便でばかげたことだろうと。
そして、上等だからといって、茶碗本来の役目のことを考えずに薄手に作ってしまうのはいかがなものであろうかと。
そうして、殿様は、薄手の茶碗を作った陶器師を呼び、こう言ったのである。
「おまえは、陶器を焼く名人であるが、いくら上手に焼いても、しんせつ心がないと、なんの役にもたたない。俺は、おまえの造った茶わんで、毎日苦しい思いをしている。」
陶器師は恐れ入って、それからというもの、厚手の茶碗を造る陶器師になったという。
どんなに上等な品でも、それを使う際のことを考えていないものは使いづらいに決まっているのである。使う際のことを考えて、造られたものは親切心がこめられている。よっぽどすばらしいものである。
世間では価値があるとされているもの。それは、本当にすべてにおいて価値があるのだろうか?と疑問を投げかけるお話だ。
形式だけの価値は形式だけの価値としてあり、それは必ずしも実用とは結びついていない、という矛盾をついた作品のようにも思える。
本当によいものは、世間の評判に流されず、自分の目や手で見つけていくのが一番いいという示唆にも感じられる。
絵本だが……
絵本だが、文章の量は多く、書かれた時代がだいぶ前のため、少し古めの文体である。
低学年からが対象だろう。