絵本の森

『フィアボ おはなしのすきなまっかなさかな』──恋しい黄色い魚を探し続ける

あらすじ

お話が得意なフィアボは、寝る前に子どもたちにお話を聞かせていました。
お母さん魚たちは、フィアボの話を聞くと、子どもたちは静かに眠ってくれるので大助かりです。

フィアボは話が終わると、一人、静かな場所でまたお話を考えます。ひとりぼっちだけど、フィアボはこの時間が好きでした。

ある日、その場所に、黄色い魚がやってきました。
フィアボは、黄色い魚を見て、なんてきれいな魚だろう、と思いました。二匹は心を通わせたのですが、次の朝……。

 

赤い魚が彼女を探し続ける

お話が好きな、というのは、お話しするのが得意な魚、という意味だったらしい。
この作品の主人公は、お話しするのが上手な、フィアボという赤い魚だ。

フィアボは、お話が得意だったので、いつも子どもたちに寝る前のお話を聞かせては、周囲に感謝されていた。

そして、彼は毎日、ひとりでお話を考えるのであった。

ある日、いつも一人でお話を考えている場所へ、黄色の魚がやってきた。フィアボとその魚は心を通わせるが、次の朝目を覚ますと、黄色い粒のようなものをたくさん残して黄色い魚はいなくなってしまっていた。

落ち込んだフィアボは、彼女が残した黄色い粒を口に入れて、彼女を探しまくる。
でも見つからない。
気づいたら、いつもお話を考える場所に戻ってきていた。

すると、なんと、そこには黄色い魚が……!

思わず口を開いたら、フィアボの口からは小さな子どもたちがでてきた。あの粒粒は、たまごだったのだろう。

そして、フィアボはいつものように自分の子どもたちも含めて、多くの子どもたちにお話を聞かせて過ごすのであった。

めでたしめでたし、という話なのだが、一番ツッコミを入れたいのは、これである。

 

黄色い魚、いったいどこ行ってたの??

 

黄色い魚とフィアボの関係がとても婉曲的に描かれており、おとなが見ていると何とも恥ずかしい気持ちになってくる。最後にフィアボの口の中から自分たちの子どもがたくさんでてくる、という展開にしたければそう表現せざるをにしたければそう表現せざるを得ないのだが……。

そもそも、フィアボの、お話が好きという設定、必要だったのだろうか……。中盤、フィアボは彼女を探し続けるだけで、お話がうまいという特技は完全に失われてしまっている(口の中はたまごでいっぱいでしゃべることもできない)。
何となく、腑に落ちない感じを残して終わってしまったという感じである。

 

文章量はそこそこにある

文章の量はそこそこあり、対象は低学年向けだろう。
起承転結のはっきりした話なので、読み聞かせもスマートに読み終えられると思う。