あらすじ
エドワードはたくさんおもちゃを持っているけど、妹のクレアにおもちゃを貸さない。
クレアがさわろうとすると、そのおもちゃをとりあげてしまう。
ついに、エドワードはおもちゃをかきあつめ、山を築いて中に立てこもってしまった。
そこへ、お母さんがやってきて、おやつをクレアに全部あげてしまった。
クレアは二人分のおやつは全部食べきれないと困るのだが……。
おもちゃを貸すということの難しさ
おもちゃを人に貸す、自分の持っているものを貸してあげるということが難しい子は結構多い。
別に今は使っていないおもちゃなのに、ほかの子が使おうとすると、今使ってるからダメ!と言ったり、強引に取り上げたりする。
公共のおもちゃでもそういうことがよく起こり、ケンカになるのだ。
結局、今使ってないんだからおもちゃを貸してあげてもいいんじゃないの、としか声のかけようがないのだが、そう言われたことを結構根に持つ子もいて、納得させるのは難しい。
自分のものを貸す、という行為は、彼らにとっては敗北か何かのようだ。屈服させられた不満に、その場から飛び出していく子も中にはいる。今使っているものを貸してあげなさいと言っているわけではないのだが……。
この絵本の男の子、エドワードも、おもちゃをいっぱい持っているのだが、妹に貸そうとしない。妹のクレアが勝手におもちゃで遊ぼうとすると、これは僕のだから!とわざとらしくそのおもちゃを使って遊び始める。
このエドワードの絵での描かれ方がすさまじい。
子どものはずなのに、まるで意地悪じいさんのような顔つきをしているのだ。
こんな子どもいやだ……。
まるで某アヒルの金がすべてのおじいさんのような顔をしている……。
クレアがほかのおもちゃに興味を持つたび、エドワードは意地悪をして使わせないようにする。
ついには、おもちゃを全部かきあつめ、その中で立てこもるという、やりすぎとしか思えない行為に出るのだ。
そこへ、お母さんがやってくる。おやつを持ってきてくれたのだが、おもちゃの山に隠れているエドワードが目に入らず、クレアのほうに全部あげてしまう。
クレアはおやつをみて、こんなにいっぱい食べきれない……と困惑しているところに、エドワードがこう言う。
「おもちゃ、かしてやるよ。
いっしょに あそんでやっても いいよ」
絶対おやつがほしくなったからこんなことを言い出したのは丸分かりなのだが、クレアはうれしそうにこう答える。
「おにいちゃん、ありがとう。
おやつを いっしょに たべようよ」
そうして二人は一緒におやつを食べ、いっしょに遊ぶのだが……。
エドワードが、おもちゃを貸してあげようと思ったきっかけが、おやつがほしいからというところがリアリティがあっていい。子どもって、屈託ないように見えて、実は計算高いのだ。
おもちゃを貸してあげるようになったエドワードの顔からは険しさや意地悪さが消え、年相応の顔で描かれている。
最後のページの落とし方が現実的でまたいい。
今日のところは仲良く一緒に遊んだけど、次もまた同じようなことを繰り返すのだろう。その中で、ちょっとずつ、貸してあげるという気持ちを理解していくはずだ。
文章量は少な目
文章の量は少な目。
読み聞かせには手頃な長さだろう。
幼児、低学年向け。