あらすじ
その夏、街を仕切る柵がいつもより大きく見えた。
柵の向こう側には、白い人たちが住んでいた。
ママは、「向こう側は危険だから行ってはだめ」と釘を刺した。
柵の向こう側には、あの子がいた。
あの子は私のことをじっと見ていた。
私は、あの子をときどき、じっと見た。
ある日、わたしが友達となわとびをしていると、あの子がやってきて、「入れて」と言った。
友達のサンドラは、相談もしないで、「だめ」と言った。
私だったら、なんていうだろう。
「だめ」というかな。
それとも、「いいよ」というかな。
柵の向こう側はどうしてあんなにも遠く見えるのだろう……?
向こう側とこちら側を隔てる柵は
この絵本を読んだとき、私は例えようもない希望を感じ取った。
柵で区切られた向こうにいるあの子に興味を持つ、主人公のクローバー。
彼女は肌が黒く、柵の向こう側にいるあの子は、肌が白かった。
柵の向こう側には、「白い人たち」が住んでいる。
いつもより大きく見える柵。この柵は、誰にも倒せそうになかった。
柵の向こう側で、一人のあの子。
クローバーは興味を覚えるけれど、声を掛けられてもすぐには返事できなかった。
だって、お母さんには、柵の向こうは危険だと言われていたから。
でも、だったらどうして、あの子は寂しそうなのだろう。
彼女の中で、あの子の姿や、あの子のじっとこっちを見てくる視線が脳裏を焼きついて離れない。どうして柵の向こう側にあるものは、遠くに見えるのだろう。
その なつ、さくの むこうがわに あるものは、
なにもかもが とおく みえた。
「どうしてかな」と ママに きくと、
「いつだって ずっと そうだったのよ」と
ママは いった。
根強く残る、心の隔たり。
柵の向こう側へ行くことはできそうもないし、柵を倒すことなんて到底無理なようにも感じる。
白人と黒人の間には、今も、「柵」があるのかもしれない。
じっとあの子を見るクローバー。
でも、声をかけられない。柵が大きくて、柵の向こう側のものが遠くに見えるから。
でも、夏が半分終わった頃、クローバーの中で何かが芽吹いて花開いた。
彼女は両手を広げ、何でもできるような気分を味わった。
今なら。
今こそ。
そうして、彼女は、あの子と初めて言葉をかわした。
あの子の名前は、アニーといった。
柵の上に腰掛ける二人。
柵は、もう腰掛けられるほどに小さくなった。大きく見えた柵は、実は、ひょいと腰掛けられるほどに小さかったのだ。
小さくなった柵は、すぐに近隣の子ども達を呼ぶだろう。
そして最初は戸惑いながらも、彼女たちも柵に腰掛けるようになる。
だって、「向こう側に行っちゃいけない」とは言われたけれど、「柵に腰掛けちゃいけない」とは言われていないから。
その なつ、わたしと アニーは さくに こしかけて、
まわりの ひろい せかいを みわたしていた。
向こう側もこちら側もない、広い世界。
柵に腰掛けて、見渡せば、その広い世界が見える。
誰かが長い時間をかけて作った柵は、なかなか倒れることはないけれど、それでも、少女たちは物怖じせず、柵に腰を下ろす。
誰かが作った古い柵のことなんか、知ったことかと。
本書の最後の場面が、心に深く刻まれる。
「こんな ふるい さく、
そのうち だれかが きて とりこわすよね」アニーが いった。
わたしも うなずいて、いった。
「そのうち きっとね」
これは、さわやかな夏の風を感じさせる、希望の絵本だった。
少しずつ縮まる距離を柵で比ゆ的に表した絵本
白人の子どもと黒人の子どもの距離が次第に縮まっていくさまを、丁寧に美しく書き上げた絵本。
直接的な表現ではなく、柵の大きさ、向こう側の遠さなどで表した様が、詩的で感じ入る。
繊細な絵柄もあいまって、夏の涼やかな風を感じさせる一冊になっている。
内容的に、中学年以上が対象だろう。
低学年にも読ませることはできるが、人種間の微妙なやりとりは、低学年には少し分かりづらいかもしれない。