あらすじ
わたしは黒が好きで、女の子がふつう好きなピンクやお姫様、きらきらひらひらしたものはあんまり好きじゃない。
うんざりするの。
この前、オーギュストが、人形遊びをしているのを見た。
男の子達の人形に、服を縫ってあげていたんだけど、ママが言うには、それは女の子がすることなんだって。
それで、この前、オーギュストと遊んでみたんだけど、別に変わったところなんかなかった。ちゃんと男の子だった。
「女の子らしく」「男のらしく」って何? 考えさせられる絵本。
私は黒が好きだった
本書のようにあからさまにないにしても、私も「女の子の色」「男の子の色」には子どもの頃、困惑してきた。
私もまた、本書の主人公のように、黒が好きだったからだ(クモは好きではなかったけど)。
ちなみにそれは今も変わらない。
だから、小学校のころ、何かにつけて女の子はなぜかピンク系の画用紙や色紙を使って作品を(今年の抱負を書くとか、折り紙で作品を作るとか)させられた。
大体、小学校における黒の扱いがあんまりよくなくて、自動的に「黒」という選択肢を除外されてきたような気すらする。
好きな色は?と聞かれて、黒、と答えていたら、同級生に変な子だなあという目をされたことがある。
男の子は、もちろん、「青」だ。戦隊ものの影響か、稀に「赤」が許されてきたけど、ピンクなんかは選べないようになっていたような気がする。男の子の中にも、ピンクが好きな子がいたんじゃないかなあと思う。
「男らしく」「女らしく」といった場合、大抵、泣くとかめそめそ悩むとかに繋がっていくような気がする。
日本では、「女の腐ったようなやつ」という言葉もあるくらいで、これは幾らなんでもひどすぎやしないか。じゃあ腐ってない女はどんなのだよ、と聞きたくなる。最近あんまり見ない言い回しになって、よかったと思うけれど。
結局、男らしく、女らしく、は文化と密接な関係にあって、昔の感覚がそのまま残った上の「女の理想像」「男の理想像」みたいなのがあって、それに沿うのが「らしく」あるということになるわけだ。
だから、国も違えば、この「女らしい」「男らしい」というのは違ってくるのだろう。
本書は海外の絵本だが、海外でも「女の子はピンクやかわいらしいもの、キラキラしたものが好き」「男の子は恐竜や土遊びなんかが好き」という観念があるらしい。
子ども時代が感じた「なんだか押し付けられてるような気がするなあ」という気分を味わったのは、私ひとりではなかったのだ。
本書の主人公みたいに、私はそこまで活発で自分を通すほうではなかったから、本心ではピンクはイヤだなあと思いつつも文句も言わずそれに従ってきたけれど、本書の主人公は自分は黒が好きで、虫が好きで恐竜が好きだってはっきり自覚している。
私たちはおとなになると、「子ども」とひとくくりに子どもを見てしまいがちになって、その中で「男」「女」に大雑把にわけて考えがちだ。
本当は子どもの世界は繊細でいろいろ都合もあったし事情もあったのだけど、おとなになるにつれ、そんなこまごましたことはすっかり綺麗に忘れてしまうらしい。そしてついつい、「子どもはこうあるべき」「男の子はこうあるべき」「女の子はこうあるべき」という固定観念にとらわれてしまい、それからちょっとはみ出てる子がいると、「変わった子」としてとらえがちだ。
でもよく考えたら、それって余計なお世話なのではないか。
人にはいろんな人がいるように、子どもにもいろんな子どもがいるのは当然のことだ。
どんな色を好もうが自由だし、どんな遊びを好もうが(危険な遊びでない限り)、自由にさせてやりたいではないか。
子どもの頃おままごとが大嫌いだった私が、「一人で遊んでないでおままごと入れてもらおうね~」と先生に連れられてさほど仲良くないメンバーの中にねじ込まれた嫌な思い出がある私としては、そろそろ女の子が青や黒を選んでも「そうなのね~」で見守られるような世界を目指してもいいんじゃないかと思う。
「○○してるから、女みたい」とか、「○○してて、男みたい」って、その気はなくても、人によってはとても傷つく言葉だから。
この絵本は、「女らしく」「男らしく」について厳しく追及していくようなものではなくて、女の子でも男の子が好きそうなものが好きな子がいるんですよ、という感じで終わっている。
この絵本を読んで、どう思うかはその人次第、というところが、この絵本の優れているところだと思う。
この絵本を読んで
どう捉えて、どういう感想を持つかは、人それぞれだと思う。
「男らしい」「女らしい」ってなんだろう、ということを考えるきっかけになるかもしれない。
読み聞かせしてもいいかもしれない。
幼児には少し難しいかもしれないが、性別による固定観念は、実に幼児の頃から体験することではある。
ただ内容的に、やはり低学年からが対象だろう。