あらすじ
これはあるおばあさんが話してくれたお話……
あるところに、ソフィアという少女がお母さんと妹の三人で暮らしていました。
おばあさんは離れた場所に住んでいた。
おばあさんの具合が悪いそうなので、ソフィアはビスケットと蜂蜜とオレンジをお見舞いに届けることになった。
「わき道に入っちゃだめよ」
お母さんの言葉を聞きながら、ソフィアはおばあさんの家を目指して出発した……。
おばあさんが語る、現代風赤ずきん
さあ、みんな、近くにおいで。これからお話をしてあげよう。
この言葉から始まる話は、おとぎ話だ。
話し手であるおばあさんは、こう続ける。
いいかい、みんな、お話っていうのは空みたいなものなんだ。ころころ変わって、聞く人をおどろかせて、好きなようにしてしまう。
おばあさんは、そう言いながら、お話を始める。
赤いフードつきの服をきて、離れたところに住むおばあさんの家にビスケットと蜂蜜とオレンジを届ける女の子の話を……。
……そう、これは赤ずきんをオマージュした、現代風赤ずきんの話なのである。
絵を見ると、現代風というか、近未来風というか、マッドマックス世紀末的な感じに見えるが、これはこれで独特な世界観が構築されていておもしろい。
賢そうな顔をした少女は、おばあさんの家に向かうが、途中で巨大ショッピングモール「THE WOOD」の誘惑に負けてしまう。つい、足を止めて商品に見入ってしまい、それからあわてて出口を探したが道に迷ってしまった。
そこに寄ってくるハイエナという名の不良たち……あわや、というときに、颯爽と助けてくれる謎の男。
助けてくれたら、そりゃまあ、信用しちゃいますよね。
謎の男は、少女から、おばあさんの家に行く話をすべて聞くと、世紀末感漂う黒いバイクにまたがり、送ってってやるよ!と言ってくれる。その誘いを受けて、バイクの後ろに乗る少女。
そりゃ命の恩人だし信用しちゃいますよね。
下手したらかっこいい……ってなっちゃいますよね。
恋愛ものだったら、「キュン」とするところですよ。
……しかし、おわかりの通り、これは現代風赤ずきん。ハイエナたちがオオカミではなく、つまりこの男こそが──。
物語はバッドエンドに一直線。
このバッドエンドぶりが、本当に現実味があって怖い。
少女とおばあさんがどうなったのか、具体的には描写せず、お母さんの住む部屋の電気がずっとついていた……とか、警官が到着したとか、明け方近くお母さんの家の電話が鳴ったとか、具体的なところをぼかして書けば書くほど、バッドエンドが際だっている。
しかも、オオカミとハイエナがグルだった描写があり……本当に救いがない。
あ、後味が悪すぎる……
そんなおばあさんの話を聞いていた子どもたち。
あんまりなバッドエンドに泣く子続出。そりゃ泣くわ……。
でも大丈夫。
おばあさんは冒頭で言いました。
物語は空のようなもの。ころころと変わるものだと。
おばあさんが改めて語る、ハッピーエンドに分岐した世界。
めでたしめでたし……なのか……?
とってつけた感がすごいが……。
どきりとなったのは、話の中の、
だれもが見てくれているようだけれど、誰も見てくれていないからね。
……という一文。
子どもを見守ろう、と標語にあるが、実際どれだけの人が繁華街で子どもを見守っているか。人が多ければ多いほど、人混みにもまれて自分のことで精一杯である。そこにオオカミやハイエナたちが付け入ると考えると、恐ろしくなる。
そこで、「赤ずきん」の教訓が活きてくるのである。女の子は賢くいなければならない、と。
……話の本筋と全く関係ないのだが、お話をしてくれるおばあさんのサイズがどう見てもおかしいのはおいておくとして、どれだけ長いマフラーを編んでいるの、おばあさん……。
独特な世界観を持つ、現代風赤ずきん
現代風というより、近未来的な気配も感じる絵によってつづられた現代童話。
個性あるタッチの絵柄で、華やかな繁華街の裏側にある荒廃した世界を雰囲気たっぷりに、細かく描いている。
本書は、赤ずきんを知っていなければ、存分に味わうことはできないだろう。残酷な表現や、暴力的表現はないが、逆にそれらを描写せずぼかすことで、事態のショッキングさが伝わってくる。
低学年に向けるにはやや難しい話の展開なので、中学年向けだろう。
四角で区切るという独特な本文の書き方により、読み聞かせは難しい。