あらすじ
ニューイングランドの小さな村に、小さな家がありました。
その家の屋根裏部屋には、ジョージーというおばけが住んでいました。
ジョージーは、夜になるといつも同じ時間に、階段をきしませ、広間のドアのちょうつがいを鳴らしました。
いつも同じ時間だったので、屋敷に住む夫婦は就寝時間だということに気がつき、猫はねずみを追いかける時間が始まったことを知り、窓の外のフクロウはホーホーと鳴き始める時間だということを知りました。
しかし、あるとき、屋敷の住人が、何となく思いついて、階段の修理をし、ちょうつがいに油をさしたせいで、ジョージーは決まった時間に怪異を起こすことができなくなってしまいました。
しょんぼりしたジョージーは、違う屋敷に移り住もうとしますが……。
生活の一部となった怪異
おばけがとりついた家など、日本では怪談話の一つにもなるぐらい、気味の悪いものだ。
何かが「出る」家は、物故物件扱いになって、借り手も買い手もなかなかつかない。不動産屋は、前の借り手の事情を話す義務があるといえど、自ら借り手買い手を逃したくなくて、「出る」ことはなかなか話されない。
しかし、外国、特に西洋では、お化け屋敷、お化けが出る城として結構オープンにされている。イギリスなどは、それを逆手にとって、幽霊ツアーなどを企画するほどである。古い家や城が多いからこそ、お化けも住みよいのだろう。ウィンウィンでちょうどいいのではないかとは思うが、日本に住む身としては、日本の幽霊屋敷には絶対に足を踏み入れたくない。入っただけで白塗りの男の子や女の人に呪われる家もあるぐらいだし。
この『おばけのジョージー』は、古い屋敷に住んでいるおばけが主人公だ。その姿は、シーツを頭からかぶった子どものようだ。全く怖くも恐ろしくもない。いっそかわいらしいともいえる姿だ。
このジョージー、屋敷に「住んでいる」というだけあって、屋敷にすむ人を呪うでもなく祟るでもなく、毎晩同じ時間に階段をきしませ、広間のドアのちょうつがいをならすだけ。日本のようにおどろおどろしく祟って……ということは全くない。
毎度同じ時間にジョージーが怪異を起こしてくれるので、屋敷の人は時報がわりにしているし、猫ですらネズミを追いかける仕事の合図にしたりして、なんだかんだと自然に屋敷の一員としてなじんでいる。
これはもう、「おばけ」という名の別の生き物だ。
そんなふうにうまくいっていたのに、あるとき、家がきしまないようにと屋敷に住んでいた人が手入れをしてしまったから大変なことに。階段はきしまなくなり、ちょうつがいもならなくなり、ジョージーは唯一の仕事をとられたようでしょんぼり。
違う屋敷に移り住もうとしても、すでに屋敷には先客が。
……どこの屋敷にもおばけが住んでいるという設定に驚きだよ……。
困ったジョージーは、行き場をなくして、牛小屋に住み着くことに。
当然、居心地はよいものではない。牛小屋の牛はジョージーをまるで無視。しょんぼりに拍車がかかって、ショージーがかわいそうになってくる。
しかし、不具合が出てきたのはジョージだけではなかった。
時報として怪異を受け止めていたものたちは、時間の感覚が狂ってしまう。会話をしたり、積極的に姿は見せなくても、ジョージーは屋敷の一員としてかけがえのない存在だったのだ。まさに生活の一部だったといっても過言ではない。
そして幸運は起こり、ジョージーはまたいた場所へ……。
必要とされているとわかったジョージーのうれしそうな顔!
時間の感覚が狂うよりは、家が定期的にきしむぐらい、どうってことない。
玄関マットに書かれた「ようこそ!」が、彼を暖かく迎え入れているようだ。みんなジョージーがいなくなって困っていたから、大歓迎は間違いないだろう。
よかったね、ジョージー。
しかし、日本と外国での怪異の受けとめ方がちょっと違うのに驚く。
ジョージーに住む夫婦は、怪異に特別反応を見せることもなく、自然につきあってきたのだ。ただ何となく、家がきしむのを直してしまっただけで。何となくの行動で放ろうの身になったジョージーが哀れすぎる。
内容で何となくイギリスの本かと思ったら、アメリカの本だった。
そういえばアメリカも有名な幽霊屋敷が何軒かあるなぁ。
かわいらしいおばけが主人公の本
タイトルに「おばけ」と入っているが、内容は全く怖くなく、ジョージーの愛らしさが描かれた本である。
絵はすべてモノクロで、カラーではない。しかしおばけの話には雰囲気がマッチしており、ジョージーのかわいらしい仕草が余すところなく描かれている。
小学校低学年向け。
怖い話ではないので、怖い話が苦手な子にも楽しめるだろう。