あらすじ
靴屋のクッツさんは、大人気の靴屋さん。
彼の作る靴はすばらしくて、長持ちする、とてもいい靴でした。
しかしあるとき、靴工場が建ったときから、クッツさんのお店も変わってしまいました。お客さんがこなくなってしまったのです。
みんな、靴工場で量産される靴を買っていきます。
クッツさんの靴は売れなくなってしまいました。
クッツさんは仕方なく、靴工場で働くことにしましたが、うまく働くことかできず、クッツさんはとうとう、町を出ていくことにしました……。
丹誠込めて作ったものは、時を経ても変わらない
靴屋さんをしているクッツさん。
……そのまますぎて、思わずちょっと笑ってしまった。
もし、クッツという名前で靴屋を営んでいるかたがいらっしゃったら申し訳ない。
クッツさんはいわゆる、職人。
作る靴はすばらしくて、長持ちする。職人の手による、一つ一つ丹誠込めて作られたものは、やはり量産品にはかなわない。
それはわかっているが……量産品と比べて、職人の手がけた品がずいぶんとお高いのも現状だ。
自分なぞの財政状況では、とても職人の品を手に取る余裕がない。
クッツさんは、量産品の台頭により、靴屋を閉店せざるを得なくなった。それはとても悲しく残念なことだが、そうなってしまった状況は安易に想像できる。
もちろん、クッツさんが悪いわけではないのだ。財政に余裕のない人は、安いほうを選びがちなのである。結局、量産品は長持ちせず、また新しいものを買う羽目になって、長い目で見れば、長持ちする職人さんの品物のほうが安上がりだったりするわけだが……。
身の回りのものは、多少高くてもいいものを選べとはよく言ったものである。
クッツさんも量産品が売れるという状況に適応しようとしたが、根っからの職人気質の彼にはなじめないものだった。
落ち込んだクッツさんは、町を離れ、森へ。
そして動物たちにすてきな靴を作ってあげるようになる。
……代金はどうしたのだろう、などと考えるおとなは心が汚れている。
すてきな靴を森のみんなに作ってあげたクッツさんは、みんなの人気者になった。
彼の、靴を作っているときの楽しそうな顔。彼は本当に職人なのだ。
丹誠込めたクッツさんの靴が、時を経てもその美しさを失わないこと、それは職人のなした奇跡だろう。
物語の途中で衝撃の展開が待ち受けているが、それはこの絵本を読もうとしている人のために残しておくとして、クッツさんのような職人さんは世界中で何人もいるのだろうな、などと考えた。
おまけに、後継者不足で、職人の技術も途絶えがちになってしまっている。職人とお金を稼ぐのは相性があまりよくないようだ。
クッツさんに限らず、すばらしい品を作る人が減ってしまったのは、なにも量産品がちまたにあふれたばかりではない。
ものを大切に使うという認識が薄れ、壊れたり使いものにならなくなったら新しいのを買えばいいという感覚が当然のようになってしまったせいではないだろうか。
安く買って、ダメになったらすぐ捨て、また新しく買い直す。
自分もそうしてきた中の一人だ。
特に、ボールペンやペンなどは使い捨てのように、ダメになったら捨てては新しいのを買っている。いいと思う万年筆には手が届かないし、インクの入れ替えなんて面倒でやりたくない。そこには、ものに対する愛着がないのだ。
……なんだかそう思うと、クッツさんのような職人さんが生きていくのは大変な世の中になってしまったなあと寂しくなった。
やっぱり、自分がよく使う何か……その何かが思いつかないが、「何か」は少しばかりいいものを持っておくべきなんだろうか。
いいものを持っていれば、何となく、一人前のような気分も味わえるというものである。
個性的なコラージュが光る絵本
文章量は見た目に反して多めである。
低学年から中学年向けだろう。
なにより、個性的なのは絵。
コラージュを多用したその画風は、何ともいえないセンスにあふれている。やけにリアルな目をしたうさぎや、どう考えてもとがりすぎだろうという配色の靴など、前衛的なアニメを見ているようである。