あらすじ
しばらく前から、小さな王様が僕の家を訪れるようになった。
王様は、十二月王二世といって、僕の人差し指ほどの大きさしかなかった。
王様がいうには、王様のところでは生まれたときは大きく、成長するに従って小さくなっていくのだそうだ。
子ども時代が人生の終わりにあるという。
僕と王様の、不思議な邂逅を描いた寓話集。
ちいさな王様が言うことには
これはおとなに向けた寓話である。
この物語群は特別優しいものでもないし、特別自我の解放を謳うものでもない。寓話的ではあるが、説教臭くはない。
癒し、というものでもないような気もしている。
これら愛すべき王様の寓話を、どうカテゴライズすればいいか、私はいつも迷う。
「これはどんな内容の本なの?」と聞かれたとき、「うーんそうだね」と言葉を濁すのは、未だにこの本の持つ魅力を語る言葉を見つけ出せないでいるからである。
友人の誕生日に本を贈って失敗したとき以降、私はあまり個人に本を勧めることはしなくなった。失敗を恥だと思ったのではなく、この本を読めば伝わるだろうと考えたことは、そううまく相手に伝わるものではない、と知ったからだ。
寓話は寓話のままに、その気になった人だけが読めばいい。おとなの読書なんてそんなものだ。読書感想文を書かなければならないわけでもないから、無理矢理教訓的に受け取ろうとする必要もない。
この本は、決してハッピーな毎日を送っているわけではない私たちのような男性が、ある小さな(物理的に小さな)王様との邂逅を記したものだ。
愛すべき王様の名前は、十二月王二世という。
彼のところでは、成長するに従って、小さくなっていくのだという。
一番最初(つまり生まれたときだ)、彼はある日ベッドで目覚め、仕事をしに執務室に行くことを始める。
人生というのは、ある日起き上がって、それですべてがはじまるのだ。
王様の言う言葉に、私は何かを鋭く突かれたような気分だった。吉野弘の「I was born」を目にしたときぶりの痛さだった。
でも、それがどこに刺さって、どこに作用しているのか、私はうまく説明できない。
私たちは、生まれようと思って、生まれたのだろうか。
王様のところでの「終わり」は、成長するにつれだんだん小さくなっていき、最後は誰にも見つけられないぐらいに小さくなって、見失ってしまうことが「終わり」なのだという。
だから、言いようによっては、ただ「見えない」というだけで、まだ芥子粒のさらに粒の粒になったぐらいになって生きている可能性もある。何とも不思議な話に思えるが、考えようによっては怖い気もする。
生まれたばかりのことはいろいろ物も知っているが、小さくなるにつれて、忘れていってしまう。
ようするに──大人時代が先にあって、子ども時代が後にある、ということである。
主人公の男性が、それは僕らのところとは逆だ、というと、王様はしばらく考えて、いやいや実はきみたちと同じなのかもしれないと言う。
おまえたちは、はじめにすべての可能性を与えられているのに、毎日、それが少しずつ奪われて縮んでいくのだ。それに、幼いうちは、おまえたちは、知っていることが少ないかわりに、想像の世界がやたら大きいのではなかったかね?
主人公の男性(つまり私たち人間のことだ)も、最初は大きな可能性が与えられて生まれる。しかし大きくなるにつれ、知識が増え、可能性が奪われていってしまう──つまり小さくなる。そう王様は言うのだ。
私たちはおとなと子どもの区切りを、一応、年齢によってつけている。
しかし、「ああ自分はおとなになったなあ」と思う時期が来るのは、人によってまちまちである。年齢ではっきりしていても、心ではあやふやなのである。
でも、「自分はもうおとなになってしまった」と思うときは必ず来るもので、それはたぶん、おそらく、……おそらくだけども、「将来の夢」が「将来」に追いついてしまったときに直面するのではないかと思う。
はじめおまえたちは、たとえば将来、消防士になりたいなどと考えたりする。でなかったらなにか全然違うものに。看護婦になりたいとかな。ところが、ある日、おまえたちは実際、消防士とか看護婦といった何者かになってしまっていることに気がつくのだ。そしてもはや、なにか、別のものになりたくてもなれない。それにはもう、遅すぎるからな。こう考えると、大きくなるというより、小さくなっていく、といったほうがいいのではないか?
この世の中に、将来の夢を叶えられたものがどれだけいるかはわからないが、どんな人間でも「将来の夢」が「将来」に追いつくときがくるのだ。
「将来の夢」になにがしかの物思いを感じるようになったら、私たちはおとななのだろう。
この愛すべき小さな王様は、偉そうで、気ままで、自分勝手で、気まぐれの気分屋だ。
でも、それでも憎めないのは、おとなになってしまったおまえたちでもおれの話を聞けているうちはまだ大丈夫なのだよ、という気分にさせてくれるからかもしれない。
こんな不思議な邂逅を夢見るうちは、きっとまだ大丈夫だ。
おとな向けの寓話集
ミヒャエル・ゾーヴァ氏のカラー挿し絵も美しい、おとな向けの寓話集。寓話というと、教訓的な話の意味が含まれるが、教訓というより、不思議な王様とのやりとりを切り取ったような話が主体。
人生、命、老い、夢、孤独……現代人の心の奥深くに潜む不安や疑問などをテーマにして、主人公と王様が話をします。
現代を生きるおとなの主人公と、不思議な存在の王様の会話は時折おかしく、時折寂しく、時折意味深長に展開していきます。
物語というより、エピソード集というほうがしっくりくるかも。
完全におとなに向けて書かれた話なので、子どもが読んでもよく理解できないでしょう。共感もしにくいのでは。
生きることに少し疲れたおとなに向けた、小さなファンタジー。