あらすじ
ある町に、妙な男が住んでいた。
この男は、昼間、絶対に外を出歩かなかった。
この妙な男は、みんなが寝静まった深夜に、一人でぶらぶら散歩するのか好きであった。
ある深夜の散歩の途中で、妙な男は歩く電信柱と出会った。
妙な男は、電信柱に、なぜこんな時間に動き回っているのかと尋ねた。
電信柱は、昼間は人が多いから動き回るに動き回れないため、深夜を選んで散歩していると答える。
電信柱は、妙な男に尋ねた。どうしてこんな深夜にぶらぶらしているのかと。
妙な男は答えた。
自分は世の中の人がみんな嫌いで、顔を会わせたくないから、こんな深夜に散歩している、と。
そうして、二人は意気投合して、いっしょに散歩することになった。
電信柱と妙な男の妙な話
奥が……深い。
何とも言えない雰囲気の何とも言えないお話を読んで、何とも言えない気持ちになった、というのが正直なところである。
どうにも自分は頭を使って本を読むのがとことん苦手である。
やけに愛嬌のあるかぶりものした男と、これもまた愛嬌のある顔をした電信柱に惹かれて手に取ってみたら、妙な男どころか妙な気分を味わうことになった、という感じだ。
妙な男は、世の中の人がみんな嫌いだから、誰とも顔を会わさずに済む深夜を選んで散歩しているという。
電信柱は、人通りの多いときには動けないから、人の少ない深夜を選んで散歩しているという。
妙な組み合わせになった。
妙な組み合わせは、妙な会話を続ける。
そして妙な交流を始める。
なんだか、自分は、観察しているみたいな気分になった。
珍しい生態のものを、遠くから見ているような気分だ。まるで人事。
それから彼らの最後を観察し終わって、自分は何とも言えない薄ら寂しい気持ちになった。
ぽいと投げ置かれたかのような、そんな気持ちになった。
それから、口の中でアサリの砂に当たったみたいな気分になって、もう一度、はじめから話を読んだ。
妙な男が言うように、誰にも会いたくないという気持ちは何となくわかる。世の中の人間すべてが嫌いというのは言い過ぎにしても、そんな気持ちがわかる人は、この世の中に何割かは存在していると確信している。
そういう人たちは、何とか、現実と折り合いをつけて生きている。妙な男のように深夜散歩するように。
しかし、彼はアクシデントのせいで、その折り合いもつけられなくなった。この話は、うまく生きることができない人たちの話なのだと感じた。
愛嬌のあるイラストと、容赦のない話がアンバランスさを呼んで、全体的に妙な気持ちになる内容となっている。
まるで、話と絵が、奇妙な会話を繰り広げているかのような感覚になる。
この本の読んだ後味は、決してよくはない。
だが、そう感じるのは間違いではないのだろう。
古い作品なので、文章が少し古い
現代では聞きなれない言葉や言い回しがでてくるのは、単にこの作品が古いからだろう。
それにもまして、難解なのはその内容である。
何かの示唆に富んでいるのはわかるが、強い印象を残す終わり方に腑に落ちない気持ちになる人も多いだろう。
イラストは非常に愛嬌があり、親しみの湧く絵柄だが、内容とのギャップがすごい。
だが、確かによく見てみれば、歩く花や、顔のような家など、端々から不気味な魅力が漂っている。好きな人は好きだが、不気味に感じる人もいる画風だろう。
内容が難しい上に、額面通りに受け取ると救いのないラストになるため、高学年以上が対象だろう。
むしろ、おとなが好む話かもしれない。