絵本の森

『スーパーキッズ 最低で最高のボクたち』

Thinking out of the box──四角四面に収まらない、闊達な子どもたちの話

あらすじ

日本人の大友良は、音楽以外の教科はまるでだめな六年生。あまりにもだめすぎて、母親と一緒に学校の呼び出しを食らっていた。算数の答案用紙の裏に、良が楽譜の落書きをしていたせいだ。
 “落ちこぼれ以下”と告げられた良は憤慨したが、母親は意気消沈。母子家庭で育った良にとって保護者は母親しかいない。

 学校から帰る途中で、二人は副校長に呼び止められる。話を聞けば、なんと、良の音楽の才能をさらにのばすために特別な学校に入学しないかと言うのだ。外国にある学校と競争率が高いということをのぞけば、学費もかからないし、良の好きな音楽を専門的に学ぶことができる。果たして良は試験を受け、合格し、日本から遠く離れた他国籍寄宿学校似通うことになったのだった。

 学校で待っていたのは、それぞれの分野に突出した才能を持つ同級生たちだった。

 ニューヨーク出身の絵がうまいギガ。
 ローマ出身のフェンシングの達人、コジモ(あだなは貴公子)。
 リオ出身の足の速いピッチ。
 インド系イギリス出身のハッカー、キキ。
 ルーマニア出身の数学と物理の天才、あだ名はアインシュタイン。
 ポーランド出身のジュニア・バスケットボールの天才、あだ名はシューター。
 絶対音質感という能力をもつ少女、あだ名はピンク。
 スペイン出身の天才調教師、サントス。
 中国出身の棒高跳びの達人、シャオメイ。
 考古学の期待の星、ケイ。
 ロサンジェルス出身のものづくりの天才、ジョジョ。

 学校のモットーは「Thinking out of the box」。枠にとらわれない、独創的な考え方を尊重する学校だった。
 新生活は戸惑いながらも始まり、次第に充実感を覚える良だったが、あるとき、ジョジョがある噂話を持ち込んできた。なんと、ギガが犯罪者かもしれないというのだ……。

 

それぞれに個性、才能を持ったスーパーキッズの活躍劇!

『スーパーキッズ 最低で最高のボクたち』を読み終わったとき、最初に思ったのは、日本の学校教育が箱みたいだということだった。四角い教育を施して、平均的に、なんでもできる人間を量産する。授業についていけなくなれば、いわゆる昔は“落ちこぼれ”としてため息をつかれたものだった(私も理系教科があまりにもできなさすぎて、ため息ををつかれた)。それで、たいていは、このできない教科を何とかできるようにしようと周りは努力を勧めるし、努力して克服せざるをえない環境が強制的に待っている。

でも、苦手なものを何とかしようというのは、考えているよりも困難だ。やっとちょっとできるようになったかと思えば、ほかのみんなはもう何歩も前を進んでいる。とてもじゃないがふつうの努力では追いつけない。ほんの少しできるようになったからといって、焼け石に水なのだ。奇跡が起きて、頭の中身がまるっと入れ替わらない限りは。あるいは、すさまじい努力を怠らなければ。

でもこれは、日本の教育現場だけではないのかもしれない。ほかの国の教育現場を知らないから、こういうことを言えるだけなのであって、もっと俯瞰的な目で見れば、どこの国だって、教育現場にひずみというものが存在するのだろう。

近頃は、学習機能障害という言葉も認められつつあって、それぞれの個性にあった学習体制を考えられるようになった。適切な支援によって、その子にとって学習しやすい環境に変えていくというものだ。
それまでの一斉教授の体制と比べれば、大きな変化だと思う。でも、実際問題、まだまだ課題は山積みだ。『スーパーキッズ』の主人公のように、音楽以外てんでうまくいかない子のような、一つの特性に秀でた子の受け皿が日本にはまだ少ない。さすがに、主人公の担任のような、露骨ないやな奴は少ないと思いたいが……。

『スーパーキッズ』には、それぞれの分野に突出した能力を持つ子が一つの学校に通うことになる。
 主人公の大友良は音楽の才能があるが、ほかの分野はまったくだめだ。この学校には、さまざまな国から、優れた能力を持つ子たちが集められている。足の速い子、絵がうまい子、ものづくりがうまい子……合計12名。みな個性的で良い意味で変わっている。その子たちが、遭遇した事件に立ち向かい、苦境を切り開いていくという、痛快なお話が待っている。そこには“落ちこぼれ”なんていなくて、それぞれが自分の持った才能を生かし、問題を解決していく大事な“主力”だ。彼らの姿のなんと勇ましく格好いいことか。とても生き生きとしていて、最後にはスカッとする。

 舞台が日本ではなくて、イタリア領の他国籍学校というのがとてもいい。いわゆる日本的な、狭苦しい空気はなくて、解放された自由の気配が漂っている。その学校は短所をどうにかするんじゃなくて、長所をのばしていく学校だ。日本の学校ではつまはじきにそれてしまった主人公の大友良も、その新しい学校では生き生きとしはじめる。好きなことを好きなだけ学べるなんて、なんてすばらしい環境だろう、とうらやましくもなった。

 いろんな国からやってきた子どもたちが、困難に立ち向かって解決していく王道ともいえるお話の醍醐味は、はらはらとどきどきと爽快感だ。『スーパーキッズ』でも漏れなくそれが味わえる。表紙の青空も美しく、読後は爽快だ。

 ただ惜しむらくは、スーパーキッズと呼ばれる優秀な子どもたちが12人も登場するため、それぞれの活躍の場が分散されて少ない。絵がうまいギガと、フェンシングの達人“貴公子”と、足の速いピッチがメインに近く、ほかの登場人物は個性的なキャラクター性を放っているのにもかかわらず、なかなか活躍する場がない。これはとても惜しい。

 しかし、それをのぞいても、痛快な活躍劇だ。

 「Thinking out of the box」、四角四面の枠からはずれた子どもたち。でも、こんなにきらきらと輝いていて、見える空はどこまでも青い。